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Posted by TI-DA at

2017年01月31日

ゲームクリエイター

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

ゲームクリエイター。
ゲームをクリエイト(create=創造する・創る)する人、という意味で使われるこの言葉が一般的に使われるようになったのは、1990年代中盤以降のことだと言われているメェ。

1997年(平成9年)1月31日、その当時、繰り広げられていた「家庭用ゲーム機の販売競争」の勝敗を決めてしまうゲームソフトが、日本国内で発売されたメェ。
日本国内で400万本以上、全世界で約1000万本という飛んでもないヒットを飛ばしたそのゲームソフトは、結果として、該当する家庭用ゲーム機の爆発的な販売につながったんだメェ。

ひとつのゲームソフトがゲーム機(ハード)の売れ行きを決めてしまう現象から、たくさん売れるゲームソフトをクリエイトする会社、あるいは個人に世間的な注目が集まるようになったために、有名なゲームクリエイターが何人も誕生したり、あるいは著名なアーティストがゲーム制作に関わるようになったりと、ゲーム制作というお仕事自体が、おもちゃ業界の垣根を超えて、一般社会から認知される、そんな出来事が続いたのが1990年代だったと言われているメェ。

その流れを受けて、ゲームクリエイターを志す人のための専門学校などができて、昔よりゲームクリエイターへの道は広がったのは間違いないところだメェ。

それでも、やっぱり歌手やマンガ家などと同じように、道は広がったとはいえ、目指す人が多ければ、同じ道を同じ目標に向かって歩く人が多ければ、その競争は激しくなる。
ゲームクリエイターになるための道が小さくて狭くて、探すのも大変だった時代に比べたら、その競争率は高くなっているかもしれないメェ。

それでもゲームクリエイターを目指したいキミ。
ゲームでたくさん遊ぶのが悪いとは言わないけれど、「学ぶこと」ができない人は、ゲームクリエイターにも何にもなれないメェ。
ゲームクリエイターになるためにも、やっぱり勉強は必要なんだメェ。

ひとつのゲームを作るのには、やっぱりたくさんのスペシャリストが関わっているメェ。
現代では、それはまるでひとつの映画をつくるような規模になっている場合もあるメェ。
だから、ゲームクリエイターになるためには、どんなスキルが必要で、自分はどのスキルを学んでいくかということを、真剣に考えてみてほしいメェ。

考えれば考えるほど、目標が遠く感じてしまうかもしれないメェ。
そのとき、キミが諦めてしまうか、それとも遠くても歩こうと考えるか、どちらに決めたとしても、何も考えずにぼんやりとゲームクリエイターになりたいなと思って、行動しないよりは、ずっとずっとマシだメェ。
まずは、一歩進んでみる。
頑張ってほしいメェ。ジョブたんは頑張る人を応援するメェ。

このブログが、みんなでグッジョブ運動が、みんながお仕事のことを考えるきっかけになれば嬉しいメェ。

それでは今日も、みんなで~グッジョーブ‼

  



2017年01月30日

コンピュータウイルス

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今年は21世紀に入って17年目の2017年。
自分の身近にコンピュータがあるという人も少なくないと思うメェ。

コンピュータ。
もともとは自動計算機という意味の言葉であるcomputer(コンピュータ)は、1940年代(昭和15年以降)にデジタルのコンピュータが実用的になってきてからは、電子計算機、デジタル・コンピュータという意味合いで使われているメェ。

1980年代にパソコン通信が一般的にも知られるようになって、1990年代中盤からはインターネットで世界中がつながるようになって、コンピュータなしの生活は考えにくいメェ。
スマートフォンなども、名前こそsmartphone(スマート・フォン=賢く使える電話)だけれども、実際には「電話の形をした小さなコンピュータ」であって、普通の固定電話や携帯電話(フューチャーフォン)などとは、そもそもの仕組みが違うんだメェ。

さて、これだけ生活にコンピュータが浸透した毎日に、「コンピュータウイルス」と呼ばれる厄介者(やっかい・もの)が登場したのは、1982年(昭和57年)1月29日だと言われているメェ。
自分も知らないうちに、自分のコンピュータに知らないプログラムが導入されている。
これがまるでインフルエンザなどのウイルスに似ているところから名付けられたコンピュータウイルス。
最初に作ったのは、アメリカの高校生だと言われているメェ。

コンピュータは、たくさんのプログラムの塊(かたまり)だメェ。
人間が作るプログラムだから、人間が風邪をひくようにコンピュータウイルスを作ることもできる。
実はコンピュータウイルスを作る、一部の良くない行為をする人たちも、実はとてもコンピュータに詳しい人たちなんだメェ。
せっかくのスキルが勿体ないと思うメェ。
現在では、コンピュータウイルスなど、他人のコンピュータに感染して、良くない行為をするプログラムを作ることを禁止して、罰を与える法律も整備されているほどだメェ。

仕事上のスキルは、良くも悪くも役に立つもの。
スキルが悪いわけではなく、スキルを使う人次第だということだメェ。

この情報化社会。IT社会。役に立つスキルはたくさんあるメェ。
身に着けたスキルを世の中の役に立つように活かせるキミであってほしいと願うメェ。


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2017年01月29日

世界最古の国際機関

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月29日は、日本が「国際電気通信連合」に加盟した日だメェ。
無線通信や電気通信の分野において、共通の規格を作るなどして、世界の無線通信や電気通信の標準化を推進する、また規制をかけて異常な使われ方を防ぐなどの目的とした、無線・電気の通信分野における国際連合の専門機関なんだメェ。

この国際電気通信連合に日本が加盟したのは、1879年(明治12年)のこと。
だいぶ古い話だメェ。
実際に、連合の前身となる「万国電信連合」が設立されたのは、1865年(江戸時代末期)のことで、世界最古の国際機関であると言われているメェ。

電気通信の技術が確立されたけれども、各国が別々の規格で展開していては、いつまでも各国国内だけの便利さで終わってしまうメェ。
その便利さを、国境を越えてつなげる。たとえば、電話などがそう言えるメェ。せっかく便利な電話だけれど、外国とつながらないでは便利さも半減するメェ。
だから、国境を越えて、つながっていけるように、各国が共通の規格のもとで電気通信や無線通信を利用していこうという考えが基本となっているんだメェ。

無線通信、電気通信とも、社会の基本となるインフラストラクチャ―だから、取り扱えるのは国家認定の免許を受けた企業だけだし、個人でもやっぱり国家資格としている国がほとんどなんだメェ。

日本では、無線通信は「無線通信士」、電気通信は「電気通信主任技術者」という資格がそれになるメェ。

それぞれのホームページ、
公益財団法人日本無線協会(http://www.nichimu.or.jp/
一般社団法人電気通信国家試験センター(https://www.shiken.dekyo.or.jp/index.html
を参考にしてほしいメェ。

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2017年01月28日

はいさい。

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月28日は、著作権に関する国際条約である「万国著作権条約」を日本国が批准した日だメェ。
この日以降、著作権を示すマークとして、(C)や©など、また正式にはCopyrightという表記が使われるようになったんだメェ。

絵を描く、本を書く、彫刻を彫るそのほか、美術や芸術などの作品には、それが生まれた瞬間から著作者の権利が発生する。それが著作権だメェ。
「万国著作権条約」は、その条約に先立って批准されていた「ベルヌ条約」など、同じく著作権を保護する国際条約を補完して、全世界が同じ基準で著作権を守っていこうという主旨の元で、国際連合・教育科学文化機関(ユネスコ/UNESCO)が管理しているメェ。

誰かが描いた絵や文章などを丸写しにして、自分の作品として発表するのはもちろん、その作品の一部を無断で使用するのも、いけない行為だメェ。
著作権はどこかに登録するものではなく、作品が生まれた瞬間から発生しているものという考え方(無方式主義)だから、他人の作品を使用するには、その人の許可が(ときには使用料も)必要なんだメェ。

ところで。
コピーライト。に、似た言葉で「コピーライター」があるメェ。
このコピーライターは、広告などで使うキャッチコピーなどを書く職業のことだメェ。
でも、著作権をあらわすコピーライトは英語でCopyright、職業名のコピーライターは英語でCopywriterなので、言葉の成り立ちも意味も全く違うことに注意が必要だメェ。

コピーライターというお仕事。
最近ではコピーライター養成学校などもあるけれども、決まった資格があるわけではないようだメェ。
現代のコピーライターは、昔のように広告に携わるだけではなく、出版や映像、インターネットも含めて、とても幅広い分野で活躍しているメェ。
たくさんの人が活躍できるだけのフィールドの広さがある職業なのかもしれないメェ。

ジョブたんの隣りのお兄さんも、コピーライターの仕事をすることもあるようだメェ。
本職は何なのか、ちょっと迷ってしまうメェ。

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2017年01月27日

横綱

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

みんな、19年ぶりに日本出身の横綱が誕生した、というニュースがいろいろなメディアで伝えられているメェ。
日本出身の横綱がいなくなってからでも、13年が経つメェ。
ところが今日1月27日は、角力の歴史上初の「外国出身の横綱」が誕生した日なんだメェ。

アメリカはハワイ出身の曙(あけぼの)関、本名はチャド・ローウェンさんというメェ。
元々はハワイでアメリカンフットボールの選手だったチャドさんは、これまたハワイ出身の関取として有名だった当時の東関(あずまぜき)親方(元関脇・高見山関)にスカウトされて、来日。
アメリカとは大きく違う日本での生活、そのなかでも特別な相撲界という慣れない環境のなかで、「あとには引けない」という強い気持ちをもって稽古に励んで、3年目で新十両、新入幕と上り調子で出世を続け、1993年(平成5年)1月27日に、外国出身者として初の横綱となったんだメェ。
2001年(平成13年)の引退までに、通算優勝回数11回という立派な成績を残した曙関。現在はキックボクシングやプロレスなど、格闘技の世界で活躍しているメェ。

ところで、相撲界への道とは。
毎年、1月・3月・5月・7月・9月・11月の本場所前に行われる「新弟子検査」に合格することが一番目だメェ。
中学校卒業以上で23歳以下。身長・体重にも決められた基準があるメェ。
大きな力士が本気でぶつかり合うから、それに耐えられるだけの体の大きさが求められているんだメェ。

新弟子検査を受ける前には、中学・高校や大学など、アマチュア相撲界で活躍している選手が多いけれども、日本では柔道の重量級の選手や、曙関のようにほかのスポーツからスカウトされる人も少なくないメェ。

力士を目指すキミ。
アマチュア相撲の強豪校に進学するのも、ひとつの手だメェ。
相撲の道は優しくないと思うけれども、活躍している力士の姿を見ていれば、うらやましくなることもあるメェ。
は!
ジョ、ジョブたんはスーパーヤギだから、力士にはならないメェ。体形からイメージするのはやめてほしいメェ。

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2017年01月26日

文化財防火デー

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月26日は、日本では「文化財防火デー」とされているメェ。
世界遺産に登録されているものを始め、日本にもたくさんの文化財が存在しているメェ。
それらを火災などから守って、後世(こうせい)に伝えていこうという考えのもと、制定された日だメェ。

この基になったのは、1949年(昭和24年)1月26日、のちに世界遺産にも登録される奈良県の法隆寺で火災が発生して、壁画の一部が焼けてしまうなどの被害があったんだメェ。

現存する世界最古の木造建築物として、7世紀頃から1200年以上もその姿を伝えてきた建物の火災に、日本だけではなく世界中が衝撃を受けたという記録が残っているメェ。

その火災を忘れず、国内の文化財が守られるようにと、「文化財防火デー」が定められたわけだメェ。

ところで、文化財を後世に伝える、と簡単にいうけれど、実は文化財を守るにはたくさんのスペシャリストが関わっているメェ。
「大事に使う」ということが一番目であるのは昔も今も変わらないけれども、たとえば木造建築なら、シロアリや他の虫被害などを防ぐ専門家、木材の風化状態などを確認して、倒壊を防ぐ専門家、その建築物の補修工事を行うにしても、一般の建築物とはまた違った知識と経験が必要になるメェ。

また、珍しいところでは、お城の基礎部分(石垣など)を修理するために、お城の建物部分を移動する「城曳(しろひき)」という専門家もいたりするんだメェ。
日本のお城は(すべてではないけれども)建物部分が移動できるようになっているんだメェ。
それでも、お城を移動するなんて、すごいスペシャリストだメェ。

沖縄にも世界遺産はたくさんあるメェ。
観光の目玉でもあるけれども、後世に伝えるためには、やはり僕らひとりひとりの「大切にする心がけ」が必要だメェ。

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2017年01月25日

シャモニー=モン=ブラン

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日のタイトル「シャモニー=モン=ブラン」。
いやだなぁ、「シャモ(軍鶏)とモンブラン」じゃないメェ。
シャモニー=モン=ブランというのは、フランスの都市だメェ。
あ、でも、モンブランというスイーツは、この都市の名前の由来ともなったモン=ブラン(Mont Blanc/フランス語でブラン山という意味)にちなんでいるので、関係ないわけではないメェ。

さてさて、1924年(大正13年)1月25日、フランスの都市シャモニー=モン=ブランで、第1回冬季オリンピックが開催されたんだメェ。

1900年(明治33年)にスポーツの祭典として行われるようになった近代オリンピックは、実は陸上競技やレスリング、射撃などの競技が中心に行われていて、冬のスポーツであるスキーやスケートはオリンピック競技としてはほとんど取り上げられていなかったんだメェ。

そこで、この1924年に「実験大会」として、シャモニー=モン=ブランで開催されることとなり、無事に成功した翌年に「シャモニー=モン=ブラン大会が第1回冬季オリンピックである」と認められるという、ちょっとややこしい状況だったようだメェ。

とにもかくにも実験大会でも、初の冬季スポーツの国際大会は16ヶ国から約260人の選手が参加して開催され、フィギュアスケートを始めとする4競技14種目が行われて無事に成功したんだメェ。

何かを始めるときに、誰かが言い始めることは大変なことだメェ。
だいたいは言い出しっぺが無理をして、ものごとを進めて、たくさんの責任を背負って、やっていくことも少なくないメェ。
この冬季オリンピックも、冬のスポーツの選手たちが長年夢見ていたけれどなかなか実現しなかった大会だったんだメェ。
でも、冬場のスポーツも盛んになってきたこと、それまでのオリンピックでも、人気の出てきたスポーツをオリンピック種目として積極的に採用してきた歴史があったので、この実験大会の成功から翌年には、先ほども書いたように「実験大会を第1回大会とする」ということ、さらには第2回大会の開催も決まったんだメェ。

今でもオリンピックでは、開催地が決まるたびに、新しい競技の採用が検討されるメェ。
2020年東京オリンピックでは、沖縄で生まれた「空手」も競技のひとつになるメェ。

その東京オリンピックも3年後。
選手として出場を目指す人には、長い3年なのか短い3年となるのか、頑張ってほしいものだメェ。

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2017年01月24日

フォーティナイナーズ

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月24日は「小さな出来事が大きな波を生んだ」日だメェ。
1848年1月24日アメリカ・カリフォルニア州。
農場の開発に従事していた人が、小さな川から、ある発見をしたメェ。
それは「砂金(さきん)」だったメェ。

砂に交じった金の粒。農場の開発を目的としていた開発主は、その発見を嬉しくは思わず、しばらく秘密にしていたようだメェ。
それでも「人の口に戸は立てられぬ(ひとのくちには とは たてられぬ)」というメェ。
あまり時間を置かずに、この砂金の発見はアメリカ中に広まって、一攫千金(いっかくせんきん)を夢見た人たちがカリフォルニアに集まることになるんだメェ。
この出来事を「カリフォルニア・ゴールドラッシュ」と言って、発見のうわさが広まった1849年には約8万人、それからの数年間で約30万人の人たちがカリフォルニアに移住してきて、新しく「カリフォルニア州」ができたんだメェ。
その、ゴールドラッシュの初期である1849年にやってきた人たちを「フォーティナイナーズ(49’ers)」と言うんだメェ。
有名なアメリカンフットボールのチーム名の由来ともなっているメェ。

ちなみに、フォーティナイナーズを始めとするゴールドラッシュのために移住してきた人たちのほとんどは、成功できなかったと言われているメェ。

あまりにも多くの人たちが来たために、すぐに金が掘りつくされてしまったことが理由のひとつ、もうひとつには、もともと人口の少ない地域に、急激にたくさんの人たちが引っ越してきたので、生活物資が不足して値上がりして、金の儲けよりも値上がりでの支出のほうが上回ってしまったことが理由だと言われているメェ。

だから、ゴールドラッシュの時代に利益を上げたのは、金を探して掘っていた人たちではなく、そのたくさんの人たちを相手に、生活物資やまた掘るための道具などを販売していた人たちだと言われているメェ。
有名なところでは、ジーンズメーカーのリーバイスなどが挙げられるメェ。
金そのものより、金を目的としてやってきた人たちを相手に仕事をする。
発想や着想(ちゃくそう)の勝利なのかもしれないメェ。
お仕事にアイディアは大切。ときには、夢中になっていることから顔を上げて、周囲を見渡してみると、新しいチャンスが見えてくるかもしれないメェ。

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2017年01月23日

Eメールの使い方

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月23日は、日本では「Eメールの日」とされているメェ。
制定されたのは1994年(平成6年)という話だから、今から23年前のこと。

そんなに昔からEメールというのはあったのかと思うジョブたんだけれど、実はインターネットというものが爆発的に普及するより前、インターネットが生まれる前、パーソナルコンピュータ(パソコン、PC)のメーカー各社が独自のシステムで通信網(つうしん・もう)を広げていた「パソコン通信」の時代から、Eメールとほぼ同じ、メッセージサービスが使われていたんだメェ。

このメーカー各社の独自通信網が、その垣根を超えてつながるインターネットに形を変えていくにつれて、メッセージサービスの規格が統一されていって、どのメーカーのPCにも届けられるメッセージサービス、つまりEメールが誕生したんだメェ。

ジョブたんの隣りのお兄さんは「メールなしでは仕事ができません」というほど、仕事のなかにEメールが深く関わっているようだメェ。
というより、お仕事ツールとしてのEメールの役割がとても大きくなったんだメェ。

でも、お仕事で使うEメールは、簡単に届けられるからといっても、お友達に手紙を書くような気軽なものではないメェ。
お仕事では「ビジネス文書(文章とも言う)」と呼ばれる、お仕事のための文書や文章のマナーがあるんだメェ。
顔の見えない、声の聞こえない相手に送るのだから、普段よりもっと注意しなければならないメェ。直接の会話なら冗談で済むことも、Eメールだと冗談にならなくなることだってあるかもしれないんだメェ。

だから、ビジネス文書、ビジネス文章はちゃんと学ばなければならないスキルのひとつなんだメェ。
ちなみにマナー的な部分からすると、ビジネス文書(文章)で大切なことのひとつは、言葉の使い方であって、例えば「食べる」「お食べになる」「召し上がる」など、ひとつの言葉をどのように表現するかということになるメェ。
だから、文章の上手下手というのは別の話になるので、今からでも鍛えられるものなんだメェ。
そう、ジョブたんがよく話すように、たくさん読書をして、たくさん文章を書く。そうすると、文章自体は上手くなって、あとはビジネス文書の言葉の使い方を覚えればいいんだメェ。

目指せ、文章のスペシャリスト。
今からでもできる、将来のお仕事のための練習だメェ。

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2017年01月22日

ジャンボジェット

はいさい。
ぐすーよーちゅーうがなびら。
今日も沖縄県の雇用情勢のことを考えるスーパーヤギ、ジョブたんだメェ。

今日1月22日は、世界旅行を世界中にプレゼントしたと言われる、超有名な航空機(飛行機)ジャンボジェットこと、ボーイング747型機が初めて就航(しゅうこう)した日とされているメェ。
1970年(昭和44年)のことだメェ。

第2次世界大戦後、ジェット機の時代に移り変わって、旅行客を乗せて大空を飛ぶ旅客機もどんどん大型化していったメェ。
それでも、一度に載せられるお客様の数は200名から250名程度で、その客席数から飛行機の運賃は高いままが続いていて、一般市民が乗るには少し手が届きにくい乗り物だったメェ。

ところが1970年に、それまでの2倍のお客様を乗せて、それまでの飛行機と同じ滑走路の長さで離着陸できるジェット機が登場。それがジャンボジェットだメェ。
このジャンボジェットの登場が、航空運賃の値下げに大きく貢献したと言われているメェ。
1度の飛行で2倍のお客様が運べるならば、少しくらい値下げをしても、利益はあげられる計算ができるメェ。

その後、旅行ブームが起きて、その大きな翼が人気となったジャンボジェットは、ジェット旅客機の代表格としてロングセラー機となり、1500機以上も生産されて、初登場からもうすぐ50年になろうとする2017年現在も多くの機体が現役で世界中の大空を飛んでいるんだメェ。

子どものあこがれ、ジャンボジェット。
ジャンボジェットのパイロットになれたら、かっこいいメェ。
その前にものすごく厳しい訓練があることは、以前の記事でも紹介したけれど、あこがれをかなえるためなら、がんばれる!
がんばる人を応援するのが、今年のジョブたんだメェ!


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